チャイコフスキー作曲 チャロデイカ | 本番 | ドイツで鑑賞

Peter Ilyich Tchaikovsky
The Enchantress (Charodéyka)

2022年12月11日(日)
​フランクフルト歌劇場
Oper Frankfurt

Conductor: Valentin Uryupin
Director: Vasily Barkhatov
Set Designer: Christian Schmidt
Costume Designer: Kirsten Dephoff
Choreography: Gal Fefferman
Lighting Designer: Olaf Winter
Video: Christian Borchers
Chorus Master: Tilman Michael
Dramaturge: Zsolt Horpácsy

Nastasia: Asmik Grigorian
Prince: Iain MacNeil
Princess: Elena Manistina
Prince Juri: Alexander Mikhailov
Mamyrow / Kudma: Frederic Jost
Nenila: Zanda Švēde
Iwan Schuran: Božidar Smiljanić
Foka: Dietrich Volle
Polja: Nombulelo Yende°
Balakin: Jonathan Abernethy
Potap: Pilgoo Kang
Lukasch: Kudaibergen Abildin
Kitschiga: Magnús Baldvinsson
Paisi: Alexey Egorov
Artiste: Aslan Diasamidze

Dancers:
Rouven Pabst / Gabriele Ascani / Luciano Baptiste / Guillermo de la Chica Lopez / Carlos Díaz Torres / Jonathan Schmidt

予習編を先に読んでいただいた方は既にご存じだと思うが、鑑賞にあたり個人的に問題となっている点を再度説明しよう。本作の音源は簡単に入手できるのに、リブレット(台本)はどこにもないという困った事態だ。原語はロシア語。

​だから、私は本番で必死に字幕を読むしかなかった。字幕はドイツ語と英語。もちろん英語を読む。読み慣れた言語ではあるが、オペラの進捗に合わせて読むと、けっこう忙しい。その結果、演出を十分観察することはできないし、歌を含む音楽に対する集中力も半減。過去に作成した複数のコンテンツでも何ども訴えているが、オペラ鑑賞をするなら、必ず対訳リブレットを十分読み込んでから行くべきである。ただし、無料はもとより有料でもリブレットが入手できないとなると、もう諦めるしかない。

​現地でプログラムと一緒に対訳リブレットを販売しているかもしれないと期待したのだが、残念ながらリブレットは置いてなかった。(あったとしてもドイツ語訳だろう。)

​それでも、題名さえ知らなかった「チャロデイカ」という珍しい作品を鑑賞できるのだから、私にとっては今回の旅で鑑賞するオペラの目玉という位置づけだった。今回の旅では比較的安い席ばかり取っていたのだが、少し張り切って前日までの席より20ユーロだけ高い席を買った。だが、これは中途半端なケチな選択だった。視界は大して変わらないというか、なぜかむしろ悪くなってしまった。前日までの席も一部視界が遮られていたが、この20ユーロだけ高い席では、若干舞台に近づいたものの、舞台の半分近くが見えない。むしろ前日の席の方がまだ良かった。

​残念な状況ではあるが、無意味ではない。限られた材料で予習をして、はるばる日本から鑑賞しにきたからこそ、作品をより良く知ることができる。

​特に今回は字幕から入手する情報が貴重だ。あらすじを読むだけでは分からなかったことを記しておく。あらすじには、大公代理(今回のプログラム上では「Prince」となっている)の息子ユーリ(Princeの息子)はハンサムだということばかり書かれている。ナターシャは外見の美しいユーリが好きなのだろうと思っていたが、それだけではなかった。ユーリは困っている人を助けるなど人柄も良く、住民を含め人々から好かれている。そのような情報を知ると、ナターシャの心理もより良く読めるのではないだろうか。ナターシャも美しく気立ての良い女性。それなのに、なぜかナターシャは、彼女の人気を妬む人々から「魔女」と呼ばれてしまう。誰からも好かれるユーリを羨ましく思うと同時に、ユーリはナターシャにとって憧れの存在でもあるのだろう。本当はアナタと同じなのに、なぜ私は「魔女」にされてしまうの・・・そんな悲しみを、ユーリなら分かってくれるのでは、ユーリに癒してもらいたい、そんな心情なのではと想像してみた。

​字幕から入手した情報の続きだが、ユーリにもユーリ側の事情があった。どうやら、親がユーリの結婚話を勝手に進めているようだ。好きでもない女と無理やり結婚させられてしまうことを憂鬱に感じていたとき、彼はナターシャと出会った。そうだったのか。彼女こそが運命の相手だとユーリは強く感じたのだろう。

​さらに情報を共有しよう。ユーリの父ニキータ (Prince) もナターシャに夢中なのだが、ナターシャは応じない。興味もなく冷たくあしらったのかと思っていたが、ナターシャは相手の気持ちを気遣って「かわいそうに思う」と言っている。ただし、「かわいそうに思うけど、憐れみは愛ではない」と言う。ニキータはナターシャが誰を愛しているのか知りたがった。ナターシャは言うわけにいかない。なぜなら、ナターシャが愛しているのはニキータの息子ユーリなのだから、知られてしまったらニキータはユーリを殺すかもしれない。

​このような情報を把握できたので、私が予習中に疑問に思った「ニキータは息子ユーリがナターシャを殺したと思ってユーリを殺害」あるいは「ニキータは息子ユーリがナターシャと愛し合っていたことを知ってユーリを殺害」のどちらなのかという点については、後者という結論になる。とはいいつつも、前者も絡んでいると考えても良いのでは。息子ユーリはナターシャと愛し合っていたが、何らかの事情で都合が悪くなってナターシャを殺害したとニキータは思い込んだ可能性もある。

​私が予習中に心打たれた最終幕の弔いの合唱が、舞台の奥から、遠くから、聴こえたのは個人的にはガッカリしてしまった。あの合唱は、ただ美しい悲し気な歌というわけではない。極端に強弱を付けると、悪行を鋭く非難する強烈な歌声になるのだ。できれば、舞台の前面にアンサンブル歌手たちを配置して、衝動的に息子を殺してしまったニキータを強く責めて、追い詰めてもらいたかった。これは、いつか私が「チャロデイカ」を演出するときのアイデアとして取っておこう。(演出ですって?!ええ、憧れます。歌手を指導するコレペティトゥアにも憧れるが、オペラなど舞台作品の演出家という仕事にも憧れる。現世ではパチパチ手を叩くだけの無能な客でしかないが、来世で何かが叶いますように。)

​リブレット(読んでいないけど)では、ニキータが殺めるのは息子ユーリだけだったと思うが、今回の演出では彼は同時に妻も殺害するという設定となっていた。我に返ったニキータの絶望は底なし。「My death 私の死!」と叫びながら舞台を歩き回る。手にはピストル。きっとそのまま自分のこめかみに銃口を向けたのだろうけど、私の席からは見えなかった。

​今、購入したプログラムに掲載されている写真を見ながら、もう一度舞台を思い出している。そうそう、そうだったと思う部分もあれば、字幕を読まなければいけなかったせいで、あまり記憶に残っていない部分もある。ユーリはボクサーなのだろか?ボクサーの格好に、なぜかロシアのツァーリ(皇帝)の王冠が違和感なくマッチする。ユーリファミリーの豪邸には大きなオオカミの絵?あるいは写真? そういえば、オオカミ風の犬?実物も登場したような気がする。マミロフが罰として加わった愉快なダンス一団は頭にオオカミの被り物。マトリョーシカが使われたのもダンスの場面だったと記憶している。下の動画にもあるが、スクリーンの映像でブシュっと血が噴き出すのは、毒を飲まされたナターシャが倒れる場面だったか?

演出はロシア出身のVasily Barkhatov 。学生時代からこの作品の演出をしたかったと言っている。何が正しくて、何が悪いのか、舞台でやっていいこととダメなことなどを権力者が決める場面があり、それは今のロシアでも起こっている残念な状況であり、今を生きるすべてのアーティストにとって悲しいことであると言っている。今、Google検索して知ったのだが、Vasily Barkhatovはナターシャ役を歌ったAsmik Grigorian の現在の夫。プログラムのプロフィールには書かれていなかったので気付かなかった。

2022年12月フランクフルト

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Oper Frankfurt - The Enchantress フランクフルト歌劇場 「チャロデイカ」