ワーグナー作曲 ニュルンベルクのマイスタージンガー | 予習

Richard Wagner
Die Meistersinger von Nürnberg

愛と死と苦悩を歌う重く暗い作品ばかりのワーグナーが作曲した、たった1つの喜劇であり、演奏時間はオペラ作品の中でも最長の部類に入る4時間半。おっと!長さに怯えないで!逃げないで!大丈夫だから!少しも飽きずに4時間半楽しめる内容となっている。一番好きな喜劇オペラと言っても良い。

おもしろ系のオペラとしては、ヴェルディ作曲の「ファルスタッフ」を挙げるオペラファンが多いかもしれないが、「ファルスタッフ」より、その原作であるシェイクスピアの舞台劇「ウィンザーの陽気な女房たち」の方が何倍も面白い。シェイクスピア劇については、コロナ禍で、ロンドンのグローブ座やカナダのストラットフォード・フェスティバルの録画ストリーミングを観たが、あまりのバカバカしさ(←誉め言葉)に、腹がよじれて息が止まりそうなほど爆笑してしまった。最高のコメディーである。それと比べるとヴェルディ作曲のオペラは、爆笑するほどの勢いは感じられないのだ。ヴェルディは好きな作曲家の1人であるが、シェイクスピア劇が原作となっている作品は、断然シェイクスピアの原作の方が強烈な楽しさだ。

というわけで、笑えるおもしろいオペラと言えば、私の中ではワーグナー作曲「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が1番オススメ。しかも、この作品はおもしろいだけでなく、けっこう泣けるのだ。

今回の旅で鑑賞するオペラの中で唯一、だいぶ前に予習が完了していた。実は2020年、私は「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を2回鑑賞する予定だった。東京で1回、ミュンヘンで1回。どちらもコロナ禍でキャンセルとなってしまった。

​長い作品のあらすじをここでわざわざ紹介するつもりはない。1つだけ、私なりの解釈をご紹介したい。それから、この作品の中で気に入っている登場人物たちについて順番に少し語る。

【スズキの見方(説)】ポーグナーは、ハンス・ザックスの参戦を期待して例の企画を立てたのでは?

年頃の娘エーファの父、金細工師のポーグナーは、今度の歌合戦の優勝者への商品に、なんと娘を花嫁として差し出すという。

​私にはこう思えてならない。

ポーグナーと同じマイスタージンガーの隣人、靴職人のハンス・ザックスと、エーファが、実はいい雰囲気なのではと、ポーグナーは気付いていた(彼だけでなく町中がそう思っていたようなのだが)。ハンス・ザックスは「昔は妻も子供たちもいた」らしいのだが、妻には先立たれた。子供たちについては不明だが、独立して遠くに住んでいるのか、幼いうちに亡くなったかのどちらかだろう。ザックスとエーファは年の差もあるし、世間体を気にして、お互い必要以上には近づこうとしない。そんな2人が心置きなく一緒になれるように、歌合戦の優勝者にエーファと結婚する権利を与えようと、ポーグナーは考えたのでは?

町で一番人気の実力派マイスタージンガーであるハンス・ザックスが歌合戦に出場するなら優勝は間違いない。誰もが納得いく形で2人が堂々と結婚できる。それこそが、この少し異様な企画の目的だったのでは?

そうすれば、エーファを狙っている別のマイスタージンガー、市の書記係ベックメッサーを追い払うこともできる。ベックメッサーとハンス・ザックスが歌合戦で対戦すれば、当然ハンス・ザックスが勝つだろう。娘だってザックスを選ぶに違いない。それがポーグナーの意図だったのでは?

ところが、ポーグナーの期待に反して、ハンス・ザックスは参戦を表明しない。ここは保守的な中世の町。ポーグナーは自分から「ぜひご参加を!」なんてザックスを促すこともできず、もやもやした気分になってしまったのだろう。こんな企画を立ててしまったのは間違いだったのだろうか。娘はどうなるのか。心配で仕方ない。

違うのだろうか?

私は初めてこのストーリーを知ったときから、そのように理解していた。これは、わざわざ語るほどでもない、一般的な解釈なのだろうか?それとも、私の妄想でしかないのか?残念なことに私の周囲にはワーグナー作品を理解している人間がいないので確認できないでいる。(そもそもオペラが分かる人間が周囲にいない・・・つまらぬ人生だ。とほほ。)

【好きなキャラその1】ハンス・ザックス

前述の通り、ハンス・ザックスは靴職人でマイスタージンガー。独り身、中年。マイスタージンガーとは、規定に従い歌を作詞作曲して歌う人のこと。ハンス・ザックスは中世に実在したマイスタージンガーである。

ザックスは人前では、のほほんと穏やかに喋るのだが、平和な人間のように見せかけておきながら、ところどころ皮肉を交えて、飄々としながら人をからかう。一方で、誰かがこっそり聴いていることを知りながら、それを知らないふりして歌うときは、完全に愚痴だらけだ。そして、本当に誰も聴いていないときの独り言は、深い悩みや世の中への疑問などを交えた哲学的な歌となる。

この作品の一番の泣き所は、そんなザックスが、もどかしい、やるせなさをブツけた、あの場面である。

このままでは、嫌いなベックメッサーしか歌合戦に参加せず、ベックメッサーが優勝となってしまったら、彼と結婚しなければならないかもしれないとエーファは恐れる。エーファには拒否権があるのだが、マイスターたちが決めた優勝者を否定するのも恐い。お隣のザックスさんが私をお嫁さんにしてくれればいいのに・・・そんなことをエーファは口走ってしまった。もちろん、そんな可能性もあるのではと、思っていたからこそ言ったのだろうけど、実はエーファは既に別の男とも出会っていて、本命は彼のほうだったのだ。

娘のようにかわいがってきたお隣のエーファちゃんに「お嫁さんにしてくれれば」なんてことを言われてしまったら、ザックスも「いやいや、でも私は年が・・・」と思いながらも、「そうか、ありえないわけではないのか・・・」と、少し思ってしまう。

ほどなくザックスは、エーファの想い人が余所の町から来た若い騎士ヴァルターであることを知る。ヴァルターは独特の歌を歌えるが、マイスタージンガーの規則を知らないので優勝は絶望的。ザックスは悟る。俺が彼に規則を教えて優勝に導いてあげなければ。エーファちゃんが幸せになるために。

思わせぶりなことを言ったエーファちゃんに対する苛立ちと結局事実上振られて傷心を抱える中年男ザックスの気持ちを、鑑賞者は感じてしまう。町の人々も、勝手に噂する。年老いた男が若い娘に求婚するのではと、はやし立てる。ザックスだって、そんな勝手な噂を不快に思う。奥さんがいる方がマイスターらしいとか、威厳があるとか、弟子も余計なことを言う。靴職人としてのザックスは、靴のせいで足が痛いだの、文句を言う客にもうんざり。それに、靴屋は金細工師より貧乏だ。ニュルンベルクの人気ナンバーワンのマイスタージンガーなのに、ザックスは悩みだらけだ。

それでも、ザックスは若い騎士ヴァルターが、マイスター歌曲を歌えるように導いた。彼がマイスター歌曲を歌えるようになった瞬間、偶然居合わせたエーファは心揺さぶられ、激しく感動して、うれしくて仕方なくて、なんとザックスに抱きついた。ヴァルターではなく、ザックスに抱きついた。彼女は知っていた。ザックスがヴァルターを指導してくれたのだと。

想像して観てほしい。ザックスがどれほど複雑な気分になったか。やるせなくて泣けてこないか?私はこの場面で何度泣いたか・・・ これが私が一番泣ける場面。

ザックスはエーファの手を自分から放してヴァルターに預けた。そして苛立ちを歌にした。でも、歌いながら、普段は見せない「自分」を見せてしまったことがちょっと恥ずかしくなってしまったのか、ちょっと話をずらしてきたのだが、エーファはすぐにザックスが傷付いてしまったことに気付いて、精一杯やさしく感謝の気持ちを述べた。「歌合戦で優勝するマイスタージンガーではなく、誰でも選んでいいなら、私はあなたを選んだわよ」と、またまた必要以上に思わせぶりなことを言っているのだが、ザックスはもう淡い期待などしない。エーファに伝えるセリフがまた悲しい。

「私は賢いから、マルケ王のような幸せは望まなかった」

マルケ王とは、中世のケルトの騎士伝説に登場する人物である。マルケ王は部下トリスタンが勧めたイゾルデとの結婚を受け入れ、幸せだったのだが、トリスタンと妻イゾルデが愛し合っていることを知りショックを受けた。若い二人を許そうと思ったときは既に手遅れで、トリスタンもイゾルデも死んでしまった。ワーグナーもこのストーリーを作品で取り上げている。一時的に幸せであっても、愛し合う若い二人を死なせてしまうような結果を招くぐらいなら、自分は何も言わずに身を引こうということだ。ハンス・ザックスは、マルケ王みたいにはならない。なれない。

結局、ザックスは、エーファとヴァルターの手助けをしただけの、ただの便利な人でしかないという虚しさ。ああ、悲しい。でも、人生なんてそんなものだ。分かってはいるけど、泣けてくる。

​ハンス・ザックスの穏やかさと皮肉と虚しい悲しみがツボにはまる。

【好きなキャラその2】ベックメッサー

本作のお笑い主担当は間違いなくベックメッサーだ。(副担当はハンス・ザックスだろう!?)

​では、笑える場面をいくつか紹介しよう。

  • 夜にエーファの部屋の窓下で愛のセレナードを歌おうとするのだが、ザックスが外で突然大声で変な歌を歌うので、邪魔されて大慌て。靴底を伸ばすトンカチを叩くザックスと、愛のセレナードを歌うベックメッサーのコント系デュエットのようになっていく。ぷぷぷ。
  • 窓辺にいるのがエーファではなく、乳母のマグダレーネだったことに、ベックメッサーは気付かなかった。気付かないまま、マグダレーネに向かって、愛のセレナードを歌う。その結果、マグダレーネに恋するダーフィトに見つかって、ボコボコに殴られて怪我してしまった。
  • ベックメッサー渾身のその愛のセレナードとやらも、市の書記係らしく(?)、全然面白味の無い役所文書のような詩で残念!
  • 本人も作詩力の無さが悩みのようだが、詩の天才ザックスの詩を偶然もらって大喜び。ベックメッサーは、限られた短い時間で必死に詩を暗記しようとしたのだが、記憶違いで間違いだらけ。史上最高の奇妙な歌となってしまった。(そもそもザックスの詩ではなく、ヴァルターの詩だったのだが・・・)

では、その詩の間違い記憶を少しピックアップしてみよう。

Morgenlich leuchtend in rosigem Schein,(ヴァルターの詩)
Morgen ich leuchte in rosigem Schein,(ベックメッサーの間違い覚え)

本来は、薔薇色の光の中で朝らしく輝き・・・といった感じの意味だろうか。

ベックメッサーは「私は」ichという単語を入れてしまったので、「私が光り輝き」という詩になってしまった!おい、自分が輝いてどうする!?(爆笑)

ちなみにドイツ語文法としては通常は動詞が2番目に来るので、Morgen leuchte ich となるのだろうけど、詩だから順番は規則通りでなくても良いのかもしれない。

Blüt’ und Duft(ヴァルターの詩)
Blut und Duft(ベックメッサーの間違い覚え)

「花と香り」(「花の香り」と訳されることが多い)のはずが、「血と香り」になってしまっているではないか!全然ロマンチックではない!(爆笑)

herrlich ein Baum (ヴァルターの詩)
häng‘ ich am Baum (ベックメッサーの間違い覚え)

ベックメッサーは -lich を ichにしてしまう癖があるようだ。「凛々しくそびえ立つ1本の木」なのに、「私は木に(自分の首を?)吊る」になってしまっている。笑える内容ではないが大爆笑ものだ!

Lebensbaum (ヴァルターの詩)
Leberbaum (ベックメッサーの間違い覚え)

​「生命の木」が、「肝臓の木」になってしまった!(爆笑)

ベックメッサーだって一生懸命なのだ。大好きなエーファちゃんに求婚するために。それなのに、歌合戦本番でこの奇妙な歌を歌って、みんなに大爆笑されてしまい、大失敗。かわいそうなぐらいワンワン泣いているベックメッサー役の歌手も見たことある。​誰かベックメッサーを好きになってあげてください。​

では、ここで、夜の窓下で愛のセレナードを歌おうと思ったベックメッサーを邪魔したハンス・ザックスの空気を読まないヘンテコな歌をご紹介しよう。

イェールム! イェールム!

ハラハロヘー! オーホー!トララライ!トララーイ!

(詩の意味は不明・・・)

では、続いて、ベックメッサーが愛しのエーファの窓下で夜に歌う、イマイチな愛のセレナードをどうぞ。(真夜中に外でハンス・ザックスがトントンとトンカチを鳴らす音付き)

【好きなキャラ 次点】ダーフィト

ハンス・ザックスの弟子、ダーフィトも憎めない、かわいげのあるキャラ。悪い奴では決してないのだが、ちょっとケンカ早いところがある。エーファの乳母マグダレーネは年上なのだが、ダーフィトは彼女に首ったけ。やさしくされると嬉し過ぎて、冷たくされるとショックで落ち込む。

​冒頭、エーファは騎士ヴァルターのことを「ダーフィトみたい」と言ってうっとりしているが、彼女が言うダーフィトはザックス弟子のダーフィトのことではなく、巨人ゴリアテを倒して後に古代イスラエルの王となったダヴィデ(ダヴィデをドイツ語読みするとダーフィト)のことである。ヴァルターは画家デューラーが描いた有名な絵画のダーフィトと瓜二つだとエーファは思う。どうやら、そのダヴィデ王のダーフィトとザックス弟子のダーフィトは全然似ていないらしい。(余談だが、ダヴィデ王というと、デューラー画より、カラヴァッジョ画のダーフィトをイメージしてしまう。ゴリアテの首が画家カラヴァッジョご本人そっくりの!笑)

​世間知らずのヴァルターにマイスター歌曲について教えてあげてと、愛しのマグダレーネから依頼があったので、ダーフィトは頑張って説明してあげたのだが、ヴァルターがあまりにも無知で、ダーフィトは叫んでしまった。

​「おー、レーネ!レーネ!マグダレーネ!!」と。

​まるでダーフィト自身が悲劇の主人公になったかのように(笑)

予習音源・映像

CDは1976年 Eugen Jochum 指揮、Deutsche Oper Berlinを予習音源として使用。音だけで聴いているのに、やたらと目立ちまくるヴァルター役の Plácido Domingo も強烈だが、ハンス・ザックス役の Dietrich Fischer-Dieskau も同様に圧倒的な存在感を見せつける。これ、映像はないのだろうか?ディースカウとドミンゴのコンビで鑑賞した人たちが羨ましい。

​コロナ禍直前に図書館でDVDを借りた。直後に突然図書館が閉鎖したので、通常より長い期間、DVDを借りることができた。2001年ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の上演。傷心のザックスが思いがけず市民たちから歌で歓迎を受ける感動的な場面に涙した。(コロナ禍のせいで、こんな密な大合唱をもう楽しめないのだろうかという悲しみの涙も含んでいた!笑) ザックス役の James Morris 、エーファ役の Karita Mattila 、ポーグナー役の René Pape 、ダーフィト役の Matthew Polenzani も好演で印象に残っているが、ベックメッサー役のSir Thomas Allen が特に傑作。コメディアンかと思うほど上手に足を踏み外してコケる。繊細に愛を歌う姿も、ザックスにイラついて「このやろう」と迫る姿も、おもしろかった。「サー」の称号を持つ大御所歌手なのに、惜しみなく魅力的にお笑い担当をしてくださる歌手なのだ。もう引退されているのかと思いきや、先日東京で鑑賞した演奏会形式の「サロメ」では Sir Thomas Allen が演出をてがけていた。

オンラインLiveストリーミングで見たイギリスのグラインドボーン音楽祭の数年前の上演も良かった。ハンス・ザックス役は Gerald Finley だったのだが、またあの場面で涙してしまった。

別のオンラインLiveストリーミングでは、アムステルダムのオランダ国立歌劇場の上演を鑑賞したが、最後の場面で、ヴァルターはマイスターのメダルを受け取らず、エーファと共に去ってしまって、取り残されたマイスタージンガーたち(特にハンス・ザックス!)がかわいそうだった。リブレット(台本)上でも確かにヴァルターは1度はメダルを拒否するのだが、ハンス・ザックスの名スピーチを聴いて、受け入れることにしたということになっている。とはいえ、ヴァルターが歌の中で受け入れ表明をしているわけではないので、受け取らずに去るという演出も可能。さて、今度の旅で鑑賞するプロダクションでは、どのような結末となるのだろうか。​

今度の鑑賞で楽しみな点がもう1つある。モーツァルト「魔笛」の予習で言及した Michael Nagy がベックメッサー役として登場する。魅力的な憎まれ役を期待したい。器用な彼なら夜のセレナードの場面でリュートを自分で演奏するのかもしれない?!