モーツァルト作曲 魔笛 | 予習

Wolfgang Amadeus Mozart
Die Zauberflöte

王子様タミーノとお姫様パミーナが恋に落ち、天使のような少年3人組に助けられたり、愉快なお友達パパゲーノがいたり・・・メルヘンチックで楽しそうな雰囲気でいっぱいなのに、実は「魔笛」は摩訶不思議で分かりにくい作品なのだ。

ヨーロッパでは子供でも楽しめるオペラとしてクリスマス前に上演されることもあるのだが、はたして子供たちは何をどこまで楽しめているのだろうか。単純明快なアニメやYouTubeなどを見慣れた現代っ子たちにとって、よく分からないストーリーというのは気持ち悪くないだろうか。ヨーロッパでは子供も哲学に馴染んでいたり、答えが1つではない現代社会にも慣れていたりするので、モーツァルトの「魔笛」程度ならすんなり受け入れて楽しんでしまうのか。それとも、分からない部分は気にせず、楽しい部分だけを直感的に感じ取って笑うのか。

私がこの作品を分かりにくいと思ってしまうキーワードをいくつか挙げよう。

フリーメイソン、ザラストロ、イシスとオイシス

「魔笛」には、自由、平等、友愛、寛容、人道を理念とする結社フリーメイソンの教えや儀式が含まれるというのは、作品の解説の中で最初に知ることだろう。フリーメイソンについて、この記事では詳細には触れないでおくが、モーツァルトやリブレット(台本)を書いたエマヌエル・シカネーダーもフリーメイソンのメンバーだった。

ザラストロというのは主要登場人物の1人。女王の娘を誘拐した悪者として登場するのだが、ストーリーが展開していくと、ザラストロは悪い人ではなく、崇高な賢者であることが判明する。ザラストロという名はゾロアスター教の教祖ゾロアスターから来ている。ニーチェの著作「ツァラトゥストラはかく語りき」のツァラトゥストラもゾロアスターのこと。ゾロアスターの生年や生地など詳細は不明だが、紀元前の人物である。彼を教祖とする古代ペルシヤ発祥の宗教。

一方で、「魔笛」の中でザラストロたち一味が称えているのがイシスとオシリス。イシスとオシリスはエジプト神話の神々である。

あれれ、フリーメイソンからザラストロ、そしてエジプト神話と来たら、何だろう。アタマの悪いワタシには意味不明だ。これらは一体どのような繋がりなのだろう。

この疑問に明確な答えは見つけられなかったが、私なりの理解は以下の通り。モーツァルトが生きた頃のフリーメイソンは、一言でいえば啓蒙主義の団体であり、腐敗した宗教や政治に抗う人々だった。啓蒙主義の芸術家や知識階級の興味範囲に、ツァラトゥストラもエジプト神話も含まれていた。あるいは、興味範囲というより憧れ・・・かな。啓蒙主義がフリーメイソン、ザラストロ、エジプト神話を繋げるものということで理解しておこう。(単純な結論ですみません!)

時代背景としては、フリーメイソンに対する弾圧が強まっていたことにフリーメイソンたちは危機感を抱いていた。一般市民でも楽しみながら自由や友愛などの教義を理解できるように工夫を凝らしたのが「魔笛」である。登場人物の中で一般市民をイメージさせる役といえば愉快な鳥刺し男(その名の通り、鳥を捕まえて食用や鑑賞用に売る職業)パパゲーノだ。悪いヤツではないが、ドジで面倒くさがりで決して優秀ではない。でも、最後にパパゲーノは失敗を許されて幸せを掴んだ。庶民でも、ダメダメ人間でも、失敗した人間でも、反省して良い人であろうと努力するなら報いがあると期待できるストーリーは庶民の心にも響いたはず。オペラといえばイタリア語という時代に、ドイツ語で演じられたという点も効果抜群だっただろう。そして初演でその楽しい男パパゲーノ役を最高に愉快に演じたのは、何とこの作品の脚本を書いた張本人でフリーメイソンのシカネーダー。(いったいアナタは何者?!何でも屋?笑)舞台の裏でも表でも大活躍(暗躍?)のフリーメイソン・啓蒙主義の宣伝隊長だった。

「魔笛」の登場人物は以下を意味していると考えるのが定説だそうだ。なるほど、これは納得できる。

タミーノ → フリーメイソンに同情的だった啓蒙主義のヨーゼフ2世

パミーナ → オーストリア国民

ザラストロ → フリーメイソンの指導者イグナーツ・フォン・ボルン

夜の女王 → フリーメイソンを弾圧した女王マリア・テレジア

モノスタトス → 教皇庁の聖職者

出所:モーツァルトのオペラ〈魔笛》の台本と音楽に関する考察 ~フリーメーソン思想とモーツァルトの理想~ 新江郁栄 リンク

その他、気になる点をいくつか取り上げておく。

王子様の服は日本風

え?!なぜ日本風?!(笑)

これは歌やセリフではなく、リブレット(オペラの台本)の場面解説の部分に書かれている。前述の通り、「魔笛」はヨーロッパ啓蒙主義の影響を受けた作品なのだが、なぜか「日本風」の服を着た王子様の登場で幕を開ける。

Tamino kommt
in einem prächtigen
japonischen Jagdkleide

タミーノ 来る
豪華な
日本風の 狩り用の服で

煌びやかな衣装ということなら、西陣織だろうか?1791年作曲。当時日本は江戸時代、鎖国中。オランダとの貿易を通じて日本製の絹織物がヨーロッパにも入ってきていただろうけど、突然こうしてオペラの主要人物の服装として日本風の服を指定してくるのは個人的には違和感があるのだが、そうでもないのだろうか。日本風の服を指定したのはリブレット作家シカネーダーのアイデアだろうか?それとも?

背景として考えられるのは以下の通り。

・当時の知識階級の人々の興味範囲に日本も含まれていた。

・日本風の衣装で登場させることで、遠い異国の地での出来事のように感じさせることができる。政治的・宗教的な弾圧を逃れるための工夫。舞台設定を異国にしたり、時代設定を過去にすることで、御上の怒りを買って上演禁止になること避けるというのは、よく使われた手法だろう。(同時代、つまり今まさに自分たちが生きている時代をオペラで取り上げることは、危険だった。王族、政治、宗教などへの批判が含まれているとなれば、作品は当然上演禁止となる。)

アタシは18歳と2分!

「魔笛」はオペラの1つとして分類されているが、正確に言えば歌とセリフが混じった劇、ジングシュピールである。ミュージカルみたいな感じと言っても良いかもしれない。ここで紹介する「18歳と2分」はセリフの方。

お嫁さんが欲しいパパゲーノの前に醜い老婆が現れる。この老婆、実はパパゲーノの未来のお嫁さんパパゲーナなのだけど、なぜか年寄りの姿で登場するのでパパゲーノは何も気づかない。これも試練なのだ。

姿のことは気にしないようにして会話を楽しむパパゲーノだった。洒落のつもりで「かわいこちゃん、キミは何歳?」と聞いたら、おばあさんは堂々とこう言った。

18 Jahr, und 2 Minuten!
18歳と2分。

え?18歳ですって?!

これは一本取られたなぁとパパゲーノは思っただろう。

ところで「魔笛」には3人とか3回とか、とにかく3という数字がよく登場する。フリーメイソン的に大事な数字だそうだ。ということはこの18歳と2分も何か意味があるのだろうか。いろいろ調べてみたのだが、何か神秘的な意味があるという訳ではなさそうだった。あら、残念。

ただし、強いて言えば、こんな情報を得た。18歳と2分を182という三桁の数字に置き換えてみると、1月1日から数えて182日目は7月1日であり、1年のちょうど折り返し地点。特に関係なさそうだが、何か意味を感じる方がいればコメントなどいただけますでしょうか。

今度、誰かに年齢を問われたら、ぜひ「18歳と2分」と答えてみたい。粋な返答だと思う。良かったら皆さんも使ってみてくださいね。

相手には「やだー!それ、魔笛のパパゲーナの真似でしょ」と突っ込んでいただきたい。

残念だが、最近は滅多に年齢を問われることはない。触れてはいけない話題だと思われているようだ。機会があって「18歳と2分」と回答してみたところで、突っ込んでいただけるほど「魔笛」もパパゲーナという人物も彼女の年も有名ではない。ああ、つまらない世の中だ。

調子に乗ってパパゲーノは老婆に「じゃあ、恋人はいるのかな?キミみたいに若い?名前は?」と聞く。恋人の名にビックリ仰天するパパゲーノだった。

自殺願望のある女と男

お姫様パミーナは発狂寸前。夜の女王である母親から鋭いナイフを渡され、敵であるザラストロを殺せと言われてしまった。やらないとアンタなんか娘じゃないと。それに加えて、邪悪な心の奴隷モノスタトスに襲われそうになったり。今こそ愛する人に慰めてもらいたいのに、やっと会えたタミーノには完全に無視される。ついにナイフを見つめて「あなたが私の花婿なのね」とパミーナはつぶやいた。

敵を殺せと鋭いナイフを渡す母親も、もうどこにも救いを見つけられずに絶望して死を望む娘も、どう考えても子供に見せたいシーンではないのだろうけど、その辺は深く考えないことにしよう。結局、パミーナは3人の少年たちの応援を受けて思いとどまるのだから。

もう1人自殺願望の人間がいる。なんと、信じ難いことに、あの愉快で楽しいお気楽人間のパパゲーノだ!

言うまでもないが、クラシック音楽もオペラも死を扱う作品は多く、病死、事故死、他殺、自殺も含まれる。作品によっては死=救済という位置づけだったりもする。だから、オペラ作品で死にたい気分を歌うことなど、全然珍しくないのだが、あんなにお気楽な人間のパパゲーノが首を吊ろうとするところが、ちょっぴり悲しい。(でも彼は道化的なキャラなので結局そこでも笑いを取ってしまう。)

死にたいという気持ちを恥じることはない。あんなに気楽な人間だって、時には死にたいと思うのだ。死にたいというのは人間にとってよくある普通の感情の1つである。「ポジティブ教」が広まっている現代でこのような発言をすると怒られるかもしれないが、私はそう思う。人間の普通の感情である死にたい気持ちを、無視することなく、自然に音楽に取り入れているクラシック音楽・オペラの世界を私は心から愛している。

何故パパゲーノは死にたかったのか。女性と喋ってはいけないという修行の掟を破って喋ってしまったから。あの老婆が再び現れておしゃべりしていたら、突然老婆がかわいい若い女の子に変身して、「やったー!」と思った瞬間に罰が下って奈落の底に落ちてしまったわけだ。掟を破ったことを嘆き、あのかわいい子にもう二度と会えないことに絶望して死んでしまおうと思ったのだ。そんなパパゲーノにも、3人組の少年たちが来てくれた。そして、本当は失格であるはずのパパゲーノに神は許しを与えた。天は意外と寛容だった。めでたし、めでたし。

予習音源・映像

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団がDigital Concert Hallで公開している映像で予習した。2013年にドイツのバーデンバーデンで上演された舞台オペラと、同じメンバーでベルリンで演奏されたコンサート形式オペラである。舞台オペラは字幕なしの映像だが、コンサート形式はドイツ語・英語の二重字幕で予習には有難い。

歌手陣が豪華すぎる。王子タミーノはスロバキア出身のテノール歌手Pavol Breslik。コンサート形式ではスーツ姿の男性歌手が多かったが、彼は蝶ネクタイのタキシードで出演。颯爽と美しく現れた次の瞬間、「きゃー!大きな蛇!こわい!」と気絶してしまうひ弱な王子様。代わりに蛇を退治した強いオバサマ3人組が気絶している王子様を見て「まあ、見たことないぐらいかわいい!」と大騒ぎ。そんな美男タミーノ役に、これほどまでにも違和感なくフィットする歌手がいるだろうか。思わず笑ってしまう。いや、笑っては失礼だ。微笑んでしまう。一瞬サッと蝶ネクタイの服を整えて、キリっと「ボクはプリンスだよ」とパパゲーノに自己紹介するタミーノ。舞台オペラでは上下白いスーツだったが、これも違和感なく似合う歌手である。タミーノという最初は甘っちょろい世間知らずの若者だが、真面目に試練を乗り越えていく誠実な男を見事に表現していた。

鳥刺しパパゲーノはドイツ出身のバリトン歌手Michael Nagy。数年前に北ドイツの音楽祭で名前を知ってから注目している歌手である。その活動やインタビューからも多才で興味深い人物であることが分かる。バリトン役はシリアスな役も多いのだが、彼はパパゲーノのようなコミカルな役がよく似合う。逆にシリアスな役はどう演じているのだろうか?非常に気になる。今回の私のフランクフルト音楽旅では何と「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のベックメッサーを歌う。ベックメッサーは、シリアスな人物が多いワーグナー作品では最も笑いを取れる面白キャラだと私は思う。Michael Nagyがどのようにベックメッサーを演じるか楽しみで仕方ない。ところで、Michael Nagyは飛行機の操縦士でもある。オンのときはオペラ歌手、オフのときは空を飛ぶ。華麗な人生だ。確か、私の記憶が間違いでなければ、同じく指揮者でパイロットのDaniel Hardingと東京公演のオフの日に東京上空を飛んでいた。ちなみにMichael Nagy は趣味としてのパイロットだと思うが、Daniel Hardingは世界トップクラスの指揮者でありながら商業フライトも操縦できるパイロットである。2020年にエールフランスの正式なパイロットとして勤務する予定だったのだがコロナ禍で先延ばしになっている。その後どうなっただろうか。

ベルリンフィルが公開している「魔笛」はその他の歌手たちも一人ひとり魅力ある。それに、驚くほど大物歌手が脇役を歌っている。たとえば、コントラアルト歌手の大御所Nathalie Stutzmannが3人の女たちの1人だったり、ザラストロ側の神官の1人がワーグナーオペラで主役を歌うテノール歌手のAndreas Schagerだったり。歌手層の厚いヨーロッパが羨ましい。

演出も好感を持てるものだった。いくつか共有したいのだが、ネタバレになるので黙っておく。

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 Digital Concert Hall(有料)

https://www.digitalconcerthall.com/en/concert/3443

https://www.digitalconcerthall.com/en/concert/3454

ベルリンフィルの「魔笛」はDVDでも楽しめる(宣伝動画)

​フルートを持っているのがタミーノ役のPavol Breslik

ベルリンで演奏されたコンサート形式の「魔笛」抜粋
パミーナ Kate Royal とパパゲーノMichael Nagy