Georg Friedrich Händel
Tamerlano

1724年作曲。当時はオペラといえばイタリア語。そして、超絶人気を誇ったカストラート歌手(女声音域を歌う去勢男性歌手)の全盛期。ロンドンで活動していたドイツ出身のヘンデルも、もちろんカストラートが歌うイタリア語のオペラを作曲。
「ハーレルヤ!」でおなじみの「メサイア」の作曲家ヘンデルは、オペラ作曲家でもある。日本ではバロック時代のオペラは滅多に上演されない。
私はコロナ禍のストリーミング配信で海外で上演されたヘンデル作曲オペラの録画をいくつも鑑賞した。一番気に入ったのは「アグリッピーナ」。今回ドイツで生演奏を鑑賞予定の「タメルラーノ」についても期待しながら予習を開始したのだが、なぜか心が動かない。どうしたのだろう。多忙で疲労がたまって自己防衛的に心が鈍感になっているのだろうか。
捕虜となった皇帝バヤズィトが絶望して自害して果てるという、自分が好きそうなドラマチックな内容のオペラなのに、なぜか心が動かない。ジャンルが違うので比較対象ではないが、ヘンデルと同じ時代を生きたバッハのオラトリオ「マタイ受難曲」の方がよほどドラマチックでショッキングな刺激に満ちている。
オペラ「タメルラーノ」の舞台は1402年のアンカラの戦いの後。オスマン帝国(今のトルコ)の皇帝バヤズィトは戦いに敗れて囚われの身。勝者はティムール帝国のティムール(本作ではイタリア語読みで「タメルラーノ」)。ちなみに「タタール」や「タルタル」もティムール帝国を指す言葉。日本語では「韃靼」とも言う。
ティムールやバヤズィトの物語はその後のヨーロッパ人たちの興味を惹いたようだ。ヘンデルのオペラ以外にもバヤズィトを主人公にしたヴィヴァルディ作曲のオペラや、ティムールの人生を描いたイギリスの作家マーロウによる戯曲がある。
以下はオペラ「タメルラーノ」の簡単な人物関係図。あらすじはWikipedia等でご確認いただきたい。タメルラーノとバヤズィト以外は実在の人物ではないようだ。バヤズィトの子供にアステリアという名の子はいない。

では、イマイチ作品にのめり込めない原因となっている矛盾点に対して勝手にツッコミを入れていこう。
バヤズィト死亡直後にタメルラーノとアンドロニコの友情復活 ルンルン歌う2人・・・
自ら毒を飲んで死を受け入れることで、敵であるタメルラーノに生死を支配されることから逃れたバヤズィト。タメルラーノを呪いながら死んでいった。
「これで満足か、野蛮人め。」とアンドロニコはタメルラーノを強く非難する。
ところが、タメルラーノは、バヤズィトの自死に衝撃を受けて、突然考えを改め、アンドロニコとアステリアの結婚を許す。
アンドロニコは速攻よろこんだ!
そして男同士の友情復活を喜ぶタメルラーノとアンドロニコの2人によるルンルン二重唱。
えええええええ?!?!?!?
壮絶死したバヤズィトのことはもういいの?
彼の娘アステリアは、父と一緒に死のうとして剣や毒を求めたのに誰にも与えてもらえなくて、どこかに行ってしまったではないか。探しに行かないの?
このルンルン二重唱こそが最大の違和感である。
私の想像では、きっとアステリアはロープか何かを見つけて首をくくっているのではと思うのだが。友情復活を祝っている場合ではない。
ちなみにタメルラーノもアンドロニコもカストラート歌手が歌う。カストラート2人の友情二重唱はバロックオペラでたびたび出てくる。現代ならカウンターテノール歌手が歌うことが多い。それにしても、カウンターテノール歌手が複数登場すると、女声音域の歌手が多過ぎて、音声だけ聴いていると誰が歌っているのか分かりにくい・・・
許婚イレーネ なぜ暴君タメルラーノを愛す?
父親の命乞いに来たアステリアに一目惚れしたタメルラーノは婚約者だったはずのイレーネを捨てた。イレーネはトレビゾンド帝国の王女。国のためにも偉大なる皇帝タメルラーノに嫁ぐことは重要な使命なのだが、どうやら彼女はそれ以上にタメルラーノを愛していたように見える。どうも、これまで一度もお互い会ったことは無かったようだが。
イレーネは、アステリアが盃にこっそり毒を入れたことに気付いて、タメルラーノに飲まないように注意した。命拾いしたタメルラーノはイレーネの愛に応えようと思った。この時点で、彼は改心に近づいていたのではというのが私の読み。もう少し待てば、状況は改善されたかもしれないのに、バヤズィトは早まってしまった。(という読みはどう?)
歴史上のタメルラーノ(ティムール)は残虐な人物だったとされている。本作でもそのような人物として描かれている。失礼ながら、どこにも惚れる要素も余地も何もないと思うのだが、王女イレーネは彼を慕っている。権力者はカッコ良く見えるものなのだろうか。
そして、どうでも良い補足情報かもしれないが Wikipedia にはティムールの妻として20人もの名が載せられている。さらにその他に「26人の側室がいた」とある。これには苦笑してしまう!イレーネよ、本当に彼で良いの?
オペラの最後に、タメルラーノはこれまでの振る舞いを丁寧にイレーネに詫びた。それはそれで良いのだが、あなたが謝罪すべき相手はイレーネよりアステリアではと思う。父親が死んでしまったアステリアに対して何も言わない点も、このオペラに対して何だかスッキリしない気分をもたらしている原因となっている。
すごい剣幕でアステリアを非難 それなのにコロっと一瞬で絶賛に!(コントか?!笑)
話が前後するが、上記2つよりかなり前の場面である。王妃の座に向かうアステリアを父バヤズィト、恋人アンドロニコ、王女イレーネがそれぞれ非難する。父など「おまえなんか娘ではない」とまで言う。さらに、自分の頭を踏みつけて進めと道を塞ぐ。
アステリアは王妃の座に目がくらんだのではない。堂々と敵タメルラーノに近づける身となるのだから、そのチャンスを生かして彼を刺し殺すつもりだったのだ。
そのような企みに気付かず、ブーブー文句ばかり浴びせる3人だった。
ところが、あまりに執拗に止めようとする父に逆らえなくなったアステリアは王妃の座に昇るのを諦めた。そして、隠し持っていたナイフをみんなに見せて、これでタメルラーノを刺し殺すつもりだったと告白。
その瞬間、「なんと素晴らしい!」の大合唱。(イレーネの場合は、「素晴らしい」というニュアンスではないだろうけど。)
皆さん、調子が良すぎるのでは?先ほどまで酷い言葉で大批判していたクセに。しかも、アステリアの計画を邪魔したので、結局その目的は果たせなかったのだ。「さては、そういうつもりだな」と察して黙って見ていれば良かったのにね。
強く非難していた人々がコロっと態度を変えて絶賛する様子は滑稽である。悲劇的な内容のオペラなのに、このような場面を「滑稽」と捉えてしまう私はおかしいのだろうか。
予習段階では残念ながらあまり夢中になれる作品ではないと思ったのだが、実演を目の当たりにすると感動で立ち上がれないほど衝撃を受けて・・・なんていう結果になりますように。
音楽鑑賞の楽しみは、作品と、どこでどのように出会い、どのように関係を育んできたかということに尽きる。これから先、この作品といい関係を築ける可能性はまだ残っている。
予習音源・映像
音源はIDAGIO(無料会員)のストリーミング、対訳はいつもお世話になっているオペラ対訳プロジェクトを利用
録音ではレチタティーヴォもアリアも一部省略されているので、対訳を追いかけるのが少々面倒くさい。
印象的な歌を1つ紹介したい。
Vivo in te
絶望の淵に立つ恋人同士が歌うデュエット。
何が良いかと言えば、最初のテキストがイタリア語初心者でも理解できるのが嬉しい(え!?そこ?笑)
Vivo (私は生きる)
in (中に)
te (あなたの)
死んでもあなたの心の中で生き続けるから、よろこんで死ぬわ・・・愛する者たちがそう言い合う歌である。